【衝撃動画】妻の母親は知っていた、佐村河内守が稲垣五郎の質問に普通に答えていた?!
2014/10/16 SNS拡散レベル 3 1,325 views
佐村河内守の数々の名曲が、ゴーストライターの新垣隆さんが作曲していたことが明らかになり世間を賑わしているが・・・
佐村河内が全聾ではない決定的証拠が見つかり話題になっている。
佐村河内守プロフィール
佐村河内守(さむらごうち まもる)は1963年9月21日生まれの50歳。
【佐村河内守画像】
原爆被爆者の両親の元に生まれ、4歳で母親からのピアノの英才教育が始まり、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし「もう教えることはない」と母から言われ、以後は作曲家を志望したとされる。
中高生時代は楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。
17歳で原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。
高校卒業後は現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学んだとされているが、今回の問題でこのプロフィールの信憑性は極めて低いとされる。
というのも1996年頃から、新垣隆(にいがき たかし)が佐村河内のゴーストライターとして曲を作り始めているので・・・(汗)
佐村河内の名で出した曲
・『交響曲第1番《HIROSHIMA》』
・ゲームソフト『鬼武者』「交響組曲ライジング・サン」
・ゲームソフト『バイオハザード』バイオハザードシンフォニーOp.91「CRIME AND PUNISHMENT」
など、世間で知られている有名な曲は新垣が作っていたことになる。
普通に会話をしていた
佐村河内の自伝では、30歳で左耳、35歳で完全に聴力を失ったとあるが文春の記事によると、新垣は佐村河内が補聴器を付けるようになったことは認めているが、途中から新垣の前では偽ることを止め、ずっと普通に会話していたという。
記者会見でも新垣の作った曲を聴き佐村河内がコメントをする、ということがあったと話している。
それでも佐村河内の代理人は・・・
「聞こえないのは本当だろうと思っている」
「障害者手帳を確認している」
と証言。しかも重度障害である2級であるとのこと。
ちなみにwikiによると、2級は両耳の聴力レベルがそれぞれ100dB以上のもので、両耳全ろうとあった。
しかし!!読唇術か手話、筆談で会話するという佐村河内が、話しかけられた相手を見ずに答えるシーンがあると話題になっている。
『衝撃の動画!佐村河内が稲垣五郎の質問に答えている!』
お分かりになっただろうか?
稲垣「これがHIROSHIMAですか?」(背後から)
佐村河内「そうですね」
佐村河内(しまった!振り返って手話の人を見る)
手話の人慌てて手話通訳。(笑)
佐村河内の妻の母は知っていた!!
佐村河内の妻の母は、16年間、佐村河内夫妻と音信不通であることを明かした上で、交響曲第1番の指示書について・・・
「あれは娘の字です」
と語った。
また・・・
「佐村河内は高校時代、娘の弟の友人を騙って娘に近づいた」
「佐村河内は1988年頃、通勤途中に自分の不注意でジーパンが破れたのに、会社にお金と代わりのジーパンを請求していたみたい。やはりあの子(佐村河内)はおかしいと思った」
「15年前(自分の)知人から『佐村河内は今、耳が聞こえない』と聞いた時、また嘘をつき人をだまそうとしているんだと直感した」
「佐村河内の家にはピアノがなく、曲を作れる子でもなかった」
「違う人が作っていると確信していた。いつかバレると思っていた」
と語った。
娘(佐村河内の妻)に対して・・・
「早く離婚して広島に戻ってきてほしい」
ゴーストライターであることを告白した、新垣隆に対しては・・・
「感謝しています。勇気のいることだったと思う。会ってお礼を言いたい」
と述べている。佐村河内の妻は、幼少期からピアノを弾いていたいう。
五輪で「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用し演技するの高橋大輔やその曲を提供された義手の少女、みっくん(彼女は佐村河内に「感謝が足りない」と怒られたそうだ)
「レクイエム」を捧げられた被災地の方々、作曲当時は「現代典礼」という名前で作られ、ヒロシマはまったく念頭になかったのに広島に捧げられた「HIROSHIMA」など、金銭的な賠償ができないような被害も生み出していたと思うと、同情の余地はない。
一刻も早く世間の前に出てきちんと謝り、しっかりと罪を償ってほしいものだ。