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「この手紙が届く頃は、お父さん、お母さんはもう孫がいるのかな?」

      2014/10/16
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東日本大震災から3年目を迎えようとしている。

 

まだあの時の記憶は衝撃的で頭の中に鮮明に焼き付いている。

 

そんな中、ある1通の娘からの手紙が両親のもとに届き泣ける話だと話題になっている。

 

 

 

ある日届いた1通の手紙

 

手紙は岩手県大槌町臨時職員の女性(当時26歳)で現在も行方不明の娘から両親へ届いたものだった。

 

娘さんは2003年に高校を卒業後、京都でバスガイドとして働いていた。

 

その後、地元の大槌町に戻り町の臨時職員になったが、震災時は町役場で勤務中に津波に巻き込まれたとみられている。

 

自宅は被害は受けず両親も無事だったが、娘は見つからず両親は約半年後に悲痛な思いで死亡届を提出した。

 

娘に町に戻ってほしいと思っていた父親は悲しみに打ちひしがれ、

 

「いつ死んでもいいと思う日もあった。大槌に呼び戻さなければよかったと悔やんだ」と語っている。

 

 

 

帰宅するとポストに1通の手紙が

 
そんな悲しみの中今年1月12日、父親が仕事を終え帰宅すると家のポストに1通の手紙が届いているのを発見した。

 

「どっかで生きてるのか」。

 

期待を胸に封を切ると、そこには見慣れた娘の几帳面な文字で書かれた2枚の便箋が入っていた。

 

そこには、就職のため親元を離れた日のこと、バスガイドとして働く日々のこと、10年後の自分のことなどが書き綴られていた。

 

 

娘の親で良かった。娘に笑われねえように生きねえと

 

震災の直前、娘さんは8年間交際していた中学時代の同級生と婚約しており、

 

「結婚して子供もいるんだろうと思うけど、一人身だったらどうしよう」

 

という一文を読んだ時に母親が、「まさか10年後にいないなんて」とつぶやいたと言う。

 

「お父さんお母さんにはいっぱい、いっぱいお世話になったから、これからは、私が2人のお世話をするからね」。

 

「この手紙が届く頃は、お父さん、お母さんはもう孫がいるのかな?」

 

自分の娘がこの手紙を書いていたことや、自分たちにこのような思いを持っていたことも両親は知らなかった。

 

震災発生から3年。

 

「娘の親で良かった。娘に笑われねえように生きねえと」

 

娘からの思いが詰まった手紙を胸に、娘さんのご両親は生きていこうと思っていると語る。

 

 

 

何故このタイミングで手紙は届いたのか

 

この手紙がどのようにして届いたのかと言うと、バスガイドとして働いていた2004年1月10日に愛知県犬山市にある博物館「明治村」で、手紙を10年後届けるというサービスを利用して出されたものだったという。

 

ネットでは

 

「ブワッ(´;ω;`) 一瞬、期待しただろうな。 」

 

「手紙の内容より 封筒を見て「生きてる!?」と一瞬ぬか喜びしてしまったであろう心境を思うとキツい」

 

「これどこかで生きてるのかと思って開封した時の気持ちを考えると切ないね

 

とご両親の気持ちを察するようなコメントが多数。

 

私にも1歳5か月になる娘がいるので、娘が成長し同じ境遇になった時の事を想像すると心が苦しくてたまらない。

 

この事を胸に置き、自分の家族にももっと幸せだと思ってもらえるようにしていきたいと思ったと同時に、両親にもっと親孝行せねばと改めて思い直させてくれる出来事になった。

 

普段は照れくさくて口に出してありがとうを言えないが、たまには自分の想いを手紙に書いて渡すのもいいかもしれない。

 

皆さんも大事な人に「ありがとう」をしっかり伝えてますか?

 

参照:ライブドアニュース

http://news.livedoor.com/article/detail/8590322/ 

 

 

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