生瀬勝久の妻はモデル美人!演技上手いし面白い。旧芸名はやりまくり?
2014/10/17 SNS拡散レベル 1 709 views
生瀬勝久(53)はコメディからシリアスまで何でもこなしてしまう実力派俳優であるが、関西の出身なので、共通語も関西弁もその時々によって、使い分ける。
どの話し言葉で話したらいいのか、それが本能的にわかるのだろう。
それが芸に幅を持たせているのだが、そんな彼が気になりいろいろ調べてみた。
昔の芸名は「やりまくり」
同志社大学を卒業しており、母親は市議会議員だったことから、生瀬はハイソな家庭で育ったと思われる。
しかし、そんな彼の学生時代は槍魔栗 三助(やりまくり さんすけ)という芸名で活動をしていたそうだ。
何をやりまくるのか分からないが、現在のなんでも役をこなす芸能活動を見ているとその訳が分かる気がする。
卒論のゼミの先生に「俳優に向いていない」と言われたそうであるが、それを見事に覆し、その先生が反省したという。
就職が決まっていたのにそれを蹴って芸能界へ進んだ。
当時バブル時代だったからとても待遇がよかったはずなのに、生活の安定しない芸能界へ行くことは、親も反対したのではないだろうか?
大学の先生も、もしかして生瀬が就職をした方がいいと思って、俳優に向いていないといったのかもしれない。
しかし、人生は生瀬のようになんでもやりまくったほうがいいのだ。
生瀬の奥さんはモデル美人
そんなやりまくりな生瀬の奥さんは美人で有名だ。
奥さん(堀本陽子)は生瀬より12歳も年下だが、どこでそんな美人妻をゲットしたのだろうか?
【堀本陽子画像】
馴れ初めについて調べた所、奥さんがまだ学生だった頃、生瀬の大ファンだったらしく、生瀬にファンレターを送ったことがきっかけで交際が始まったらしい。
奥さんが進学、就職など悩んでいたときに相談に乗ってあげるなど、見た目とは違い(失礼)紳士だったらしい。
しかし、プライベートや仕事に、生瀬は本当にすごい。自分も見習いたい。
なぜ改名したのか?
なぜ、槍魔栗三助から改名したのかというと、NHKで指摘があったからだそうだ。
ここら辺は、玉袋筋太郎がNHKによって、知恵袋賢太郎に改名させられたという天下のNHK様のパワーが感じられる。
しかし、本当のところは全国進出への意を決して、本名である生瀬勝久にしたのではないだろうか?
大河ドラマで吉田松陰や勝海舟などの多くの役をしているので、本名のほうが絶対にいい。
名脇役の中の名脇役
生瀬は主役というよりは脇役を数多くこなす俳優であるが、脇役であってもとてもインパクトのある演技をする。
同じ感じで哀川翔という俳優もいるが、おしゃれで洗練された哀川と比べて生瀬は粘着質というかとても濃い演技をする。
名脇役であることは間違いなく、仲間由紀恵と共演することが多い、仲間は信頼できる役者でないと共演しないという。
生瀬もその信頼できる俳優の一人であり、仲間が主役で必ず成功させたいときは、必ず生瀬を脇役で固めているそうである。
生瀬はカメラの見えないところで仲間を笑わせたりして、いい雰囲気作りもしてくれているそうだ。
実力派もちろんあるが、彼の前の芸名のように、今までなんでもやりまくった結果、生瀬は今の地位を築いてきたのだ。
自分のやりたいことを思い切りやりまくる。
それが人生の成功の秘訣といえるのかも知れない。