天空の城ラピュタの舞台、モデルの場所はココ?物語のその後は?
2014/10/16 SNS拡散レベル 0 443 views
スタジオジブリ制作の長編 アニメ「天空の城ラピュタ」、そのラピュタのモデルとなったと噂されている場所をご存じだろうか?
ペルーのマチュピチュ遺跡はモデルになったと聞いたことがあるが、ここ以外にも何か所かあるそうなので調べてみたいと思う。
こんなにモデルになった噂のある場所が?!
1.マチュピチュ遺跡(ペルー南部クスコ県)
15世紀から16世紀にかけて繁栄したインカ帝国の都市遺跡。1533年スペイン人によって滅亡してしまった。
雲の上にある都市・・まさにラピュタである。
2.ウェールズ(イギリス)
監督の宮崎駿氏も作品作成に取掛る前に、構想材料を集めるために下見として2週間旅行をしたそうだ。
モデルでは・・・と言われる城は、ガーデンテラスがラピュタの城らしいポウィス城・要塞という感じのコンウィ城とカーナヴォン城である。
この2つは、エドワード1世によって建てられた城で「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁」として世界遺産登録されている城の中の2つだそうだ。
3.ベンメリア遺跡(カンボジア)
アンコール・ワット遺跡群の1つだが、崩懐が激しいそうだが、全貌が明らかになればアンコール・ワットと凌ぐぐらいの規模をもっているらしい。
遺跡はコケが生えたり木の根っこが覆いかぶさたりしている。
確かに映画にもこのようなシーンがある。
4.クラック・デ・シュバリエ(シリア)
12世紀に十字軍によって作られた城塞である。
シリアの小高い崖にそびえたつ白色の難攻不落の城といわれた世界遺産だが、内戦で空爆を受けてしまったそうだ。
5.モン・サン=ミシャル(フランス)
フランスのサン・マロ湾に浮かぶ小島で、修道院があるが、こちらも世界遺産である。
潮が引いたときに陸続きになる道を通り修道院に行けるそうだ。
小島の上にそびえたつ修道院・・空を漂うラピュタに思えるのは筆者だけであろうか?
ラピュタのその後の物語はどうなった?噂されるその後
ラピュタワールドを堪能した後で書くのは気が引けるが、物語のその後・・気にならないだろうか?
二次作品なので、そう来るか~といった感じである。
ラピュタの空に消えてから20年後、パズートシータは結婚し子どもを授かるが、しかしパズーは戦争で帰らぬ人となってしまう。
さらに時は「核の炎」に包まれる・・「炎の七日間」である。
人類のわずかな生き残りとシータ達はある「谷」にとどまり穏やかな生活を取り戻し、シータは息子や谷の人々に見守られ生涯をとじた。
子孫たちはその谷を「風の谷」と名なずけた。
どうやら「風の谷のナウシカ」に繋がっていくらしい。
本当かどうかは不明だが、なかなかよくできた話である。
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